本文へ移動します

山岳ライター小林千穂さん 熊野古道伊勢路ブログ

【10日目】
松本峠〜鬼ヶ城〜花の窟(距離約19.0km)

歩行距離:
距離約11.5km
行動時間:
約4時間40分
  • ※歩行距離はGPSログによるものです。いろいろ寄り道したところも計測されていますので、実際の距離とは異なります。
  • ※行動時間は歩行時間だけでなく、昼食や休憩、寄り道した時間も含みます。

熊野倶楽部を出発して松本峠の入口にやってきました。

松本峠は、大泊から木本へ続く道。
江戸時代には木本峠と言われていましたがいつの頃からか松本峠となったそう。

この峠を越えれば、もうゴールの新宮まで峠はありません。伊勢路で最後の峠となります。
今まで、数々の峠道を歩いて山を越えてきましたがこれが最後の山道と思うとちょっとさみしいです。

この日は語り部の山川さんに案内していただきました。

700mと、それほど長くないですが前半の馬越峠とともに美しい石畳が残る道として有名です。

松本峠は大小、サイズの違う石が組み合わされるようにして並べられています。
ひとつひとつの石は転がっているものを持ってきたのではなく、大きさや表面が加工されているそう。

そして、沢には畳一畳ほどもありそうな大きな一枚岩が使われています。
これらのことがプロの石工さんによって造られた石畳の特徴だと山川さんが教えてくださいました。
大きな石を扱うには複数人数での作業が必要でそれには人をまとめる棟梁のような人がいなければできない仕事。
また、ただ土の上に石を並べただけでなく地面の凹凸を慣らすように石が積まれ歩きやすいよう絶妙な段差、間隔となっています。
これもしっかりとした設計者がいないとできない仕事だそうです。
そういえば、農地で見た猪垣は松本峠の石畳と比べると小さめの石が使われていました。

これは、プロの石工さんではなく地元の人が自分たちで積んだもの。
だから一人、二人でも抱えられるぐらいの小さめの石が使われていることが多いそうです。
なるほどね〜。

この美しい石畳は昔の職人技。
長い年月が経ってもほとんど変わらずに残っているのです。
そうそう、山川さん、石畳の上に木の根っこが伸びているのはなんでですか?
ほかのところでも見てずっと気になっていたんですけど…

これは大正から昭和の初めごろだんだんと古道が使われなくなった時期がありやがて、石畳も土に埋まってしまいました。
平成になって世界遺産登録の動きがでたときに発掘されることになり、土を除いたら、このような木の根が出てきたそうです。
石畳が土の中で眠っている間に木の根が石の上を這うように伸びたのです。
木の根が這う石畳って不思議だなぁと思っていたけれどそんないきさつがあったのですね〜。
石段が続いて、足が重くなってきたころ山川さんが道脇の石に腰掛けました。

この石、休むのにちょうどいいから試して見てごらん、と。
私も座らせてもらいました。

あー、ほんとだ。
ちょっと座るのにいい高さですね。
この石も休憩用にわざとここに置いたのではないかというお話でした。
昔の人もここに座って休んだのでしょうか?
あと、山川さんから、石畳は石の真ん中ではなく、つなぎ目に足を置くと滑りづらいと教えていただきました。

こういう感じ?
確かに滑りにくいです。
いいことを教わりました。

竹林を見ながら緩やかな坂を上り、峠に着きました。

峠には1.8mもある大きなお地蔵さまが立っているのですが

よく見ると足元に丸い穴が空いています。
江戸・元禄時代に鉄砲の名手だった大馬新左衛門という人がいました。
新左衛門はこのお地蔵さまが立てられたその日に峠に差し掛かかり、朝はなかったこのお地蔵さまを妖怪と勘違いし、鉄砲で撃ってしまったそう。
かなり大きなお地蔵さまなので驚いたでしょうね。
昔はキツネが妖怪に化けたといわれました。
その時、キツネは逆立ちして化けるので新左衛門はわざと妖怪の足元(キツネの頭)を狙い命中したのではないかと山川さんが話してくれました。

峠から古道を離れて私たちは展望台の方へ向かいました。

展望台にはあずまやがあり

そこからは七里御浜が見渡せます。
今までずっと見てきたリアス式海岸の入り組んだ地形とは一転、どこまでも続く穏やかな浜に驚きました。
近くに見えているのは熊野市の木本。
浜の奥に御浜町、紀宝町が見えていてそのさらに奥が新宮だそう。

ここで山川さんが江戸時代に描かれた西国三十三所名所図会を見せてくださいました。

弓なりの浜の地形など目の前の景色とほとんど変わりがありません。
江戸時代の人もこうやって同じように山の上から浜の景色を見ていたのかなぁと想像を膨らませました。
ここから、そのまま鬼ヶ城跡へ向かいます。

これはりっぱな切り通しですね。
昔は防御にも使われたのでしょうか?

鬼ヶ城跡は、室町時代の殿さま有馬忠親(ただちか)がつくった山城跡です。

城跡からは大泊方面もよく見えました。
桜の斜面を歩いて鬼ヶ城へ向かいます。
ここの桜、春はとってもきれいなんですって。
やっぱり春も来たいなぁ。。。

鬼ヶ城の駐車場まで下って来ました。
さあ、ここからしばらく断崖絶壁の海岸沿いを歩きます。
これから鬼ヶ城を歩くのですが
その前に…

鬼ヶ城センターでひと休み。
いろいろな特産品が売られています。
今まで見かけなかったおみやげが置かれていましたよ。

真っ黒でツヤツヤしているのは那智黒石。
昔の人は熊野詣の証として、七里御浜などでこの石を拾って帰ったんですって。
帰る間も無事を願って手に持っているうちピカピカに光ったそう。
置物や硯などに加工されたものが売られています。

私は箸置きを買いました。
初めからピカピカです ^_^;

そうそう、センターの入口に「みえ食旅パスポート」の旗があったので、パスポートを提示したら

サービスで新姫のジュース、「にいひめちゃん」をもらえました。

新姫は熊野市で偶然に発見された柑橘でタチバナと温州ミカンの交雑種だそう。
シークヮーサーのように酸味が強く、さわやかな香りがするんですよ。

新姫のサイダー、くずもち、ようかん、ぽん酢、キャンディなどいろいろな商品が売られていました。

山川さんが新姫サイダーフロートをごちそうしてくれました。
シュワシュワで甘酸っぱくおいしかったです。
新姫ソフトもあります。

喉の渇きが癒えたところで鬼ヶ城の遊歩道を歩きます。

鬼ヶ城は自然がつくった奇景。

岩壁をトラバースする片道40分ほどの遊歩道がつくられています。

断崖絶壁で海面からだいぶ高いところを通り、

下を見ると足がすくむところもあります。

上を見ると侵食された岩が大迫力。

波と風によって削られ、その後に地面が隆起して、今のような景観になったそうです。

波がそのまま岩になったみたい。

ゲンコツが上からぶら下がっているような形の岩もありましたよ。

鬼ヶ城、おもしろい場所でした。

海岸を離れて、木本の街中へ向かい

紀南ツアーデザインセンターに寄りました。

明治20年に建てられた古民家を利用したビジターセンターで、周辺の観光情報が得られます。

建物がすばらしかったです。

欄間の彫刻は、贅沢に木をくり抜いた透かし彫りになっています。

天井の板も、節がない部分だけが使われています。
この辺りの庄屋さんのお宅だったそうです。

かまどはお茶のお湯を沸かしたりするのに今でも使われています。
私もちょっとだけほうじ茶の焙煎体験をさせてもらいました。

お部屋の中いっぱいにほうじ茶のやさしい香りが広がりました。

焙じたばかりのお茶をいれていただき

縁側でいっぷく。
とっても香ばしくてほーっとします。
日本家屋って、落ち着きますね。
こんな家に住んでみたいです(お掃除とお手入れが大変でしょうが…)。

デザインセンターでは熊野旅の図絵の手ぬぐいが売られていました。
今まで歩いてきた名所がかわいいイラストで描かれています。
これをみっちゃんへのおみやげにしよう!

ツアーデザインセンターの次は熊野古道おもてなし館に寄り道。

熊野市の施設でやはりいろいろな観光情報が得られます。

こちらも古民家を利用した建物で和室の休憩所もありました。

和小物など熊野周辺の特産品を買うことができます。

木本の街中から再び海岸に出て名勝、獅子岩を見学。

海に向かって吠えるような獅子の形をした岩。
カッコいいですね〜!
夏はここで花火大会が行われるそう。
獅子岩越しの花火をいつか写真に撮ってみたいです。

獅子岩から七里御浜を歩き、

いよいよ花の窟近くまでやってきました。
古代神話に興味がある私にとってここは大興奮の地です。
イザナミノミコトがカグツチノミコトを産み…と、話が長くなりそうなのでまた次回にしましょう。

新宮まで、残り22km〜。

伊勢路を歩く前から楽しみにしていた場所のひとつ、花の窟神社を案内していただきました。
ここは国生みの神さま、イザナミノミコトの墓所だと言われています。
古事記では、イザナミノミコトは火の神さま・カグツチノミコトを産んだあとに死んでしまい、比婆山(広島県北部、島根県境近くにある標高1264mの山)に葬られたことになっています。
一方、古事記のあとに編纂された日本書紀の正伝(本書)ではイザナミはカグツチを産んでおらず、死んでもいません。
日本書紀の異伝(一書)ではカグツチを産んだあとに死んだイザナミは熊野の有馬村(このあたりの旧地名)に葬られたとあります。
古事記と日本書紀で記述が違う部分のひとつです。

一書でイザナミが葬られたというのはどんな場所かわくわく。

これが花の窟神社のご神体、高さ約45mの大岩です。
まさに古代信仰の磐座(いわくら)という感じ。
侵食されやすい地質で、岩には大小の大きな穴がいくつも開いています。

花の窟神社には拝殿がなく、

大岩の下部にある大きな穴がイザナミが葬られた場所とされています。
大きな御幣が立ち、白い玉石が敷かれて玉垣で囲まれています。

手前には花が供えられていました。
神社にお墓のような花が供えられているのはめずらしいでしょ?と山川さんもおっしゃっていましたがこの土地では神さまに季節の花を供えて祀ったことから花の窟というそうです。
そんな古代からの風習が今も残っているのでしょうか?

イザナミの墓所とされる場所のすぐ反対側にカグツチの墓所があります。
イザナミには御幣が一本、カグツチは二本。
この違いはなんでしょう?

花の窟神社にお参りしたあとすぐ近くにある道の駅「熊野・花の窟」へ行きました。

ここでも新姫商品がたくさん売られていました。

山川さんに古代米で作ったお団子を買っていただきました。
熊野市有馬は米作り発祥の地とも言われ、古代米保存会の方が栽培しているそうです。
焼きたてアツアツ。
ふつうのお団子よりやわらかくておいしかったです。
ごちそうさまでした。

さて、
この日の古道歩きはここで、ひと区切り。
山川さんともお別れしました。
伊勢路は、この花の窟神社で海岸沿いを歩いて熊野速玉大社へ向かう浜通りと、山間部を行き、熊野本宮大社へ向かう本宮道に分かれます。
山間部の道は、崩壊により通行止となっている箇所があり、今の伊勢路のメインは浜通りです。
私もこのあと浜通りを歩くのですが本宮道の方も見てみたかったのでこの日のサポートKさんの車で、見どころに連れて行っていただきました。

国道311号を西へ。

ちょうどお昼時だったので、さぎり茶屋でランチをいただきました。

さぎり茶屋では岩清水豚のトンカツが食べられます。
御浜町の山奥から湧き出る岩清水を使って飼育された豚で、くさみが少なく柔らかいんですよ。
伊勢路スタートから、毎日魚料理だったので久しぶりのお肉がうれしかったです(魚も好きですが)。
さぎり茶屋のある御浜町尾呂志(おろし)地区は「風伝おろし」も有名です。
風伝おろしというのは気温の寒暖差により、朝霧が山を越えて郷の方に下りてくる気象現象。
さぎり茶屋のご主人に聞いたらお店のすぐ裏で見えると教えてくださいました。

この山を霧が越えて下りてくるそうで数日前も出たそうです。
明日の朝は早起きしてみよう!
風伝おろしもいいけれど丸山千枚田も見ていって、と言われたので棚田を見に行くことにしました。

棚田へは車で行くこともできるけれどせっかくなので、本宮道の「通り峠」を歩き、山の上にある展望台から見下ろすことにしました。

松本峠で山道歩きは最後だと思っていたけれどまだまだしっかり山道を歩きます。

通り峠は2.1km。

苔むした石畳を20分ほど上がり、そこから展望台へさらに20分ほど登って…

丸山千枚田を見下ろせる展望台に着きました。

ここからの景色はまさに絶景。

ひとつひとつの田んぼは石垣で区切られています。
よくこれだけの田んぼをつくりましたね。

千枚田という名の通り、約1340枚もの田んぼがあるそうです。
戦国時代にはすでに存在していて、そのころは今の倍ぐらいの規模だったとか。
田んぼすべてに水が行き渡るようにつくり、それを維持していくのは大変なことでしょう。

国道311号を車でさらに西へ向かい、瀞流荘にきました。

ここからトロッコ列車で湯ノ口温泉へ向かいます。

昔、鉱山があり、鉱員さんや鉱石を乗せていたトロッコが今は観光用に使われているんです。

乗ってみたら、けっこう小さかったです。
背の大きな人は頭がぶつかっちゃうかも。

湯ノ口温泉では改装オープンしたバンガローに泊まりました。
スタッフKさんは熊野市街の宿だったので私はバンガローにひとりポツン…(^^;;
携帯の電波も通じづらかったので閉店の9時まで温泉施設で過ごしました。
湯ノ口温泉は源泉掛け流しで露天風呂も広く、いい温泉でしたよ。
立ったまま入る立湯がめずらしかったです。

11日目に続く…。