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山岳ライター小林千穂さん 熊野古道伊勢路ブログ

【9日目】
賀田〜二木島〜新鹿〜大泊(距離約21.0km)

歩行距離:
約21.0km
行動時間:
約8時間15分
  • ※歩行距離はGPSログによるものです。いろいろ寄り道したところも計測されていますので、実際の距離とは異なります。
  • ※行動時間は歩行時間だけでなく、昼食や休憩、寄り道した時間も含みます。

尾鷲から八鬼山に登り、賀田の飛鳥神社で巨樹を眺めた翌日は曽根次郎坂太郎坂、二木島峠、逢神坂峠、大吹峠などを越えて、大泊まで。
今日も山道が続きますよ〜。

熊野古道の道標をたどり、朝の光が差す賀田の集落内を歩きます。

尾鷲市の出張所前を通り、

曽根石幢(そねせきどう)を見ました。
これは室町時代末期につくられたもので地蔵信仰の石造物です。
ただの灯篭ではなくお地蔵さまだから赤い前掛けと帽子が供えられているのですね。
子どもを守ってくれると伝えられ毎月24日にお団子をお供えするんですって。

このあたりは木造のレトロな感じの建物が見られます。

新宮まであと42.0km。
フルマラソンと同じぐらいだ〜。

賀田の集落を抜けて曽根次郎坂太郎坂の登り口に来ました。

階段を上がっていったところに曽根五輪塔があります。
解説版には戦国時代、このあたりを治めた曽根弾正夫妻と長男孫太郎の五輪塔だと書かれていました。

南無阿弥陀の石碑は江戸時代に旅人の安全を願って立てられたもの。
ここには昔、関所があったそうです。

さて、曽根次郎坂太郎坂は約4.0km。
けっこう長いです。
曽根次郎さんと太郎さんという人がいたのかと思ったら坂の名の由来はまったく違うようです。
曽根次郎坂太郎坂は、甫母(ほぼ)峠を越える難所のひとつで、約1000年もの長い間、志摩国と紀伊国の国境でした。
そこでこちらが自領(じりょう)、あちらが他領(たりょう)と言っていたのがなまって次郎、太郎になったのだとか。
人の名だと、太郎→次郎の順になると思うので次郎→太郎と言うのは変わっているなぁと思っていたのですがこの由来を聞いて納得。
ちょっとおもしろかったです。
ちなみに今は尾鷲市と熊野市の境になっています。
これを越えると、もう熊野なんですね〜。

山道に入ると石切場跡がありました。
ここから切られた石が350年前、江戸城本丸中之門を修復するときに使われたそう。
はるか江戸まで石が運ばれたことに驚きです。

曽根次郎坂太郎坂も苔むした石畳の道を行きます。

ここにも行き倒れ巡礼碑がありました。
江戸後期の文政13年(1830)4月武州足立郡中之田村(現埼玉県さいたま市)の人のものです。
本当に全国いろいろなところから巡礼に来ていたのですね。

鯨石と記念撮影。
クジラみたいな形でした。

あずまやのある甫母峠に到着。
ここにはほうじ茶屋という茶店があったそう。
ほうじ茶を出していたのかと思ったら甫母地(ほぼち)→ほうち→ほうじとなったようです。

国境の目印、榜示(ぼうじ)があった場所でもあります。

峠にはお地蔵さまが祀られていました。
このお地蔵さまのお顔が山の友だちにそっくりで友だちがここにいるのかとドッキリしてしまいました。
手を合わせるときもなんか変な感じだったなぁ…。

さて、甫母峠から二木島を目指します。

下の道は、石畳の上に木の根が張っていて木の生命力を感じました。
どうして石畳を抑えるように根が伸びているのかずっと考えいたのですがその謎は、松本峠で解けますのでお楽しみに。

楯見ヶ丘から楯ヶ崎が見えます。

楯ヶ崎は柱状節理の大岸壁。
いつか近くで見てみたいです。

雰囲気のいい道を進んでいくと

またりっぱな猪垣が現れました。

まるで城壁のようです。
解説版によるとこれは江戸時代につくられたものだそう。
すでに江戸のころから猪と人との攻防は始まっていたようです。

曽根次郎坂太郎坂を歩ききりました。

世界遺産のモニュメントを見て進むと

二木島湾が見えてきます。

国道を渡って山道を少し下れば漁村の二木島です。

曽根次郎坂太郎坂を下りて二木島(にぎしま)の町に来ました。

新逢川橋を渡ります。

二木島は漁業で栄えた町。
水産加工場が湾の周辺にあります。
橋を渡ったところにあったあずまやでひと休み。
歩いていると暑くて、暑くて日陰で休憩できるのがありがたかったです。

しばらく休んでいると二木島にお住いのおじいちゃんがお散歩にきました。
お話を伺うと、この町に生まれ、ずっとここで暮らしているそうです。
私は伊勢路を歩いてそれをブログに書いているんだと言うと、それじゃあ、ワシのことは13人兄弟の9人目だと書いておいてと笑って話してくださいました。

13人兄弟ってすご〜い!
おじいちゃんも漁師さんだったんですって。

二木島は漁業のほかにみかん栽培も盛んで少し前まで山の斜面はみかん畑だったそう。
でも、今はみかん畑はあまりありません。
サルが増えて、みかんを作ってもほとんどサルに食べられてしまうのでこのあたりではみかんを作らなくなったそうです。
収穫しようと畑に行くと、昨日まで実っていたみかんが食い荒らされているそうでどうして食べごろがわかるんだろうか…とおじいちゃんも首を傾げていました。

この辺りは海がきれいですね、と言うとだからほかのところには住めないと話してくれました。
今の若い人は、ここでは仕事がないから暮らしていかれないだろうけど、ワシらが住むには最高にいいところだと笑っていました。

おじいちゃんにこの先の道を教えてもらい伊勢路を進みます。

集落を一段上がったところに石碑がありました。
解説版を読むと「くじらの供養塔」とあります。
この辺りは昔から捕鯨が盛んだったのですね。
この石碑は寛文11年(1671)のものなので少なくとも350年前には捕鯨が行われていたということでしょうか?
クジラが獲れたら、食肉としてはもちろん骨も油もヒゲも余すところなく大事に利用したとのこと。
この石碑もクジラへの感謝を込めてのものなのでしょう。

通りがかったおばあちゃんに聞いてみたら、以前は港に加工場がいくつもあってとてもにぎわっていたと教えてくれました。
私が子どものころはクジラ肉は給食メニューから消えていたのであまり馴染みはないですが古くからの伝統漁だったのですよね。

長細い二木島湾を眺めて山道に入ります。

すると「キリシタン燈籠」の解説版がありました。
扉のある祠の中をのぞいてみると

これがキリシタン燈籠のようです。
よく見えませんでしたが上部にパートリ(父)を意味するPTIを文様化したものが刻まれ、下の長い部分には長いガウンを着た人物(マリア像とも見られる)が彫られています。
これは江戸時代初期のもので、隠れキリシタンが礼拝の対象としたものだと考えられているようです。

二木島湾を再び眺め、国道を少し歩きます。

そしてコンクリート壁の途中から古道へ。

二木島峠・逢神坂(おうかみざか)峠に入ります。
この2つの峠はくっついて合わせて約3kmの道のりです。

古道の雰囲気が残る石畳を登っていきます。

猪垣に沿って歩き

施主庄五郎善吉のお地蔵さまを拝みました。
善吉さんは二木島の庄屋だったそうです。

そして、逢神坂峠に到着。
逢神という字には伊勢と熊野の神さまが出会うという意味が込められているといいます。
「紀伊続風土記」には狼坂とも書かれていて山奥に狼が多かったからこの名があるともいわれています。

おや、峠にどこかのワンコがいました。
アンテナみたいなものをつけているから猟犬でしょうか?

仕事中だとわるいので構わないようにしたんだけど…

やたら人なつっこい犬で歩き始めるとかってに後をついてきます。
サポートMうさぎ氏の足元をチョロチョロ。

逢神坂峠から新鹿(あたしか)へ向かいます。

石畳の道をぐんぐん下りました。

ワンコがまだくっついてくるよ〜!
新鹿へ行くの?

ワンコといっしょに峠道を下りきりました。
里道に出るとワンコは別の山道に入って行きました。
峠の案内、ありがとうね〜。

庚申さんの前を通って進むと

海に出ました。

ここは新鹿海岸。
砂の粒子が細かく、きれいな砂浜が広がっています。

波打ち際を歩いてみることにしました。

夏だったら泳ぐのになぁ〜。
(カナヅチだけど…)

はだしになって歩きたいと思うぐらいきれいでしたよ。

昭和19年に起こった東南海大地震の記を読んでしばらく国道を歩きます。

あ、お店があった!
暑いから冷たいジュース買おう。

と思ったけどアイスにしました。
11月なのに暑い暑い〜。
アイスを食べてちょうどいいぐらいでした。

店先にはみかんが売られています。
1㎏買っても300円って安いですよね。

徳司神社ではお祭りが行われていました。

この神社の石垣はまん丸い石が積まれています。
海辺の丸い石は玉と考えられ石でも特別なんですって。
神社を過ぎると再び新鹿海岸に近づきます。

いい雰囲気の場所ですね。
ここで一日のんびり過ごせたらいいな。

新鹿の浜を離れて

また山の方へ向かいます。

三重県のYさんが
新鹿海岸は三重の秘境だと言っていたけれど本当にいい場所でした。

さて、海を離れて次は波田須をめざします。

トンネル手前から山道へ。

斜面の上に立つ民家の前を通らせてもらいます。
玄関先で何か作業をしていた女性にあいさつをしたら、
今、この先、台風の影響で少し道が荒れているの。
みんなで応急的に直したんだけど歩きにくかったらごめんなさいね。
と言ってくださいました。

いえいえ、こちらこそ通れるようにしていただいて本当にありがとうございます。
このあたりの道は地区の方が整備をしてくれているようでごめんなさいねという言葉に温かさと道を守る責任感を感じました。

荒れた場所というのはここでしょうか。
こんなにきれいに直してくれていました。

集落内の舗装路を通り、

世界遺産の波田須の道に入ります。

ここの石畳は丸みのある石が並べられています。
伊勢路でいちばん古い石畳でなんと、鎌倉時代のものだそうです(江戸時代という説もある)。

傾斜が緩いので平らな部分もあるのが特徴。

世界遺産に登録された道は短く、わずか300m。

でも石畳の雰囲気がいいので、一度訪ねてみる価値アリです。

波田須の道を出たところに

波田須神社があります。
ご祭神は應神天皇、倉稲魂命のほか徐福神とあります。
徐福というのは2000年以上も前秦の始皇帝の命を受けて不老不死の薬を探しに来た伝説の人でしょうか?

徐福茶屋という休憩所(?)もありました。

徐福について知るため古道を歩きながら波田須の集落へ下りていきましょう。

ブロッコリーみたいな木。

このような感じの木や樹叢が見られるところはだいたい例のものがある…

やっぱり神社でした。

階段を上がって鳥居をくぐると案内板があり「徐福の宮」と書いてあります。
説明によると…
不老不死の薬を探しに中国(秦)から数十隻もの船でやってきた徐福一団は台風に遭い、徐福の船だけがこの地に流れ着きました。
当時、ここには3軒の家しかなく人々は交代で徐福の世話をしました。
徐福は帰国するのをあきらめ、この地に住み着いて、世話をしてくれた人に焼き物、土木、医療、捕鯨などの中国文明を教えたという伝説があるそうです。
波田須というのは、秦住からきているともいわれます。

徐福は西日本を中心にいろいろなところに伝説がありますよね。
この地に自生する天台烏薬(クスノキ科の植物)が不老不死の薬とされているとも書かれていました。

ちなみにブロッコリーの正体は巨大なクスノキでした。

不老不死の夢がある徐福伝説に浸ったところでさらに古道を進みます。

波音を聞きながら

車道をてくてく行くと

おたけ茶屋の解説版があります。
昭和の初めまでここには茶屋がありおたけ婆さんが作る「こけら寿司」が有名でおばあさんの名が茶屋の名になったそう。
こけら寿司というのは豆や人参、しいたけなどを入れた押し寿司のようですね。

伊勢路も残すところ30kmとなりました。
この道標があるところから大吹峠の登りが始まります。

入口はコンクリート階段。

大吹峠は1.4kmです。

竹林の脇を登っていきます。

500mぐらい進むと

大吹峠に到着しました。
伊勢路は峠を越えて直接大泊へ向かうのですが私は雰囲気のいい観音道を通るため大吹峠で右折。
本来の伊勢路ルートから外れて観音道へ続く「大観猪垣道」を歩きました。
この道は歩く人が少なく道が荒れ気味なので山道に慣れた人向きです。

ずっと猪垣が続き万里の長城のようでなかなかおもしろい道でした。

大観猪垣道を抜けたところが泊観音跡。

ここは坂上田村麻呂が黄金の千手観音像を納めたという洞窟があり比音山清水寺(ひおんざんせいすいじ)として長く信仰されてきましたが昭和39年に廃寺となってしまいました。
今、洞窟にある新しい観音像は地元有志の方が3年前に置いたものだそうです。

観音さまにお参りをしたら観音道を下ります。

観音信仰が盛んだった江戸時代は大吹峠を通らず、波田須から直接観音道へ抜けていました。

観音道では多くの観音さまが迎えてくれます。

それぞれに表情が違っていて興味深いです。

観音道はよく手入れされていてしっとりした雰囲気があります。
今まで越えてきた数ある峠道のなかでも特に印象深い道でした。

観音道が終わると車道を歩き大泊の町に出ます。

大泊駅に着いたところでこの日はゴールです。
今日の行程も長く、ヘトヘトになったけれどこのあととってもステキな宿に泊まるの。

曽根次郎坂太郎坂、二木島峠、逢神坂峠、波田須の道、大吹峠、観音道を歩いたこの日、荷坂峠からずっとサポートしてくださったMうさぎ氏と分かれて大泊駅から車で20分ぐらいのところにある里創人熊野倶楽部に泊めさせてもらいました。
(Mうさぎ氏、これまでいっしょに歩いてもらったのに、私だけすみません。)

熊野倶楽部は宿泊・観光リゾート施設です。
とってもいいところだよと聞いていて伊勢路を歩く前から楽しみにしていたのですが期待を超えるいいお宿でした。

フロントロビーの家具は落ち着きがあり

お部屋の床は熊野杉が使われています。

バルコニーにはチェアが置かれていました。

こんなにいいお部屋を使えるなんて。
癒される〜。
今日はどーんと大の字で寝るぞ!

夕食は懐石で、この地の産物をアレンジしたメニューでした。

奉飯というお神酒と神さまの食事をイメージしたお料理ではスタート地の伊勢内宮を思い出し、子持ち鮎のへしこが出されれば初日の晩、田丸の民宿・栄亭旅館でいただいた子持ち鮎がおいしかったなぁ〜とか

尾鷲漁港のお魚を口に運びながら天狗倉山から見た尾鷲の景色や八鬼山の長い登りを思い出したりしました。
一品一品味わいつつまるでこれまでの伊勢路旅をもう一度辿っているようです。

そして、ドリンクメニューを見ていたら

なんと元坂酒造のオレンジベアーを見つけました。

酒蔵見学をさせてもらった元坂酒造で買いたかったけど荷物の重さにあきらめたオレンジベアー。
元坂酒造の記事はこちら

熊野で再会できるなんて…

さっそく注文しました。
昔の果肉入りジュースのようにみかんのつぶつぶがそのまま入っていてお酒と果汁が合わさり、グラスを上げるとふわりと優しい香りが立ちます。
甘すぎず、すっぱすぎずとっても飲みやすいお酒でした。
やっぱり元坂酒造で瓶を買えばよかった〜。

思い出に浸りながらお食事を終え温泉に入りに行きました。
温泉は湯の口温泉から運び湯をしているそうで広い露天風呂がとっても気持ちよかったです。
ここでも伊勢路につながるうれしいサービスがありました。
宿泊者は牛乳を1本いただけるのですが…

この牛乳、覚えていますか?

そう、あれは旅の5日目、大内山でのこと。

大内山牛乳の製品が食べられるミルクランドへ行きながら、ソフトクリームとシュークリームに夢中になりすぎて肝心の牛乳を飲み忘れた私。この時の記事はこちら

熊野まで来て、その大内山牛乳が目の前に…。
ずっと気にしていた、伊勢路でやり残したことを今、叶えられるとは。。。

ビニールの包装を取り、プラスチックのフタを開けます。
冷たい瓶を右手に持って左手は腰に…。
ごくり。
ごくごくごく。
ぷはー!
おいしい〜〜!!
♪───O(≧∇≦)O────♪

湯上りに飲む瓶の牛乳ってどうしてこんなにおいしいのでしょうね。
思い出の大内山牛乳だから、なおさらです。
あー、牛乳を飲めてスッキリした〜。

熊野倶楽部は伊勢路を辿れるように演出されているのでしょうか?
なんてステキな宿なのでしょう。

熊野倶楽部でくつろぎ、リフレッシュできたのですが

夜はベッドで大の字になりながらもブログ更新に必死で…

翌朝はみかん生搾りジュースをいただきながら朝の景色を楽しむ時間は…なく

運ばれてきたサンマの開きをバリバリとかじって走って部屋に戻り、7時過ぎには熊野倶楽部をあとにしたのでした〜
けっこうハード。
でもそれが楽しい
(^^;;

10日目はいよいよ後半のハイライト、松本峠を歩きます。