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山岳ライター小林千穂さん 熊野古道伊勢路ブログ

【7日目】
相賀〜馬越峠〜尾鷲(距離約12.5km)

歩行距離:
約7.25km
行動時間:
約5時間30分
  • ※歩行距離はGPSログによるものです。いろいろ寄り道したところも計測されていますので、実際の距離とは異なります。
  • ※行動時間は歩行時間だけでなく、昼食や休憩、寄り道した時間も含みます。

民宿ささきさんでは眺めがとってもいいお部屋に泊めていただきました。
窓から見えるのは汽水湖の白石湖。

せっかくいい場所にいるので、この日の行程を歩く前に早起きしてお散歩に行きました。

船津川にかかる相賀橋を渡って振り返ると白石湖がきれいに見えます。

ここは牡蠣の養殖で有名。
冬だったら食べられたかなぁ。

船津川の流れに沿って歩き銚子川の河口へ向かってみました。

銚子川河口からの景色。
早起きしてよかった〜。

銚子川を遡ってみることにします。

銚子川は日本有数の透明度を誇る川。
今回の旅で、私はこの川を見ることを楽しみのひとつにしていました。

銚子川は透明度が高いので、河口付近の海水と川水が混ざるところでは濃度の違いから水にガムシロップを入れた時のようにもやもやとしたものが見られるそう。
それが見られる場所をゆらゆら帯といい、Googleのマップにも「ゆらゆら帯」って載っているんですよ。

そこへ行けば見られるかと思って行ってみたのですが…。

こんな感じで川が遠いうえ、河原にも下りられませんでした。
ざんねーん!

銚子橋のあたりまで行ってささきさんに帰ってきました。

お腹が減ったところで朝食をいただいて出発!

ささきさん、お世話になりました。
お魚のお料理がとってもおいしかったです。
特に夕食の魚介グラタンが絶品でした〜。

さて、この日は前半のハイライト、馬越(まごせ)峠を歩きます。

標高522mの天狗倉(てんぐら)山にも行くので古道歩きというか、登山です。

標高が低いからといってあなどることなかれ。
なんと言っても標高ゼロメートルからですからけっこうな登りとなります。

昨日は薄暗かった相賀神社にお参りをし直して、馬越峠へ向かいます。

途中で銚子川を渡りました。

このきれいな色、見てください。
銚子川ブルーというんですって。

川底の石もはっきり見えます。

でも三重県のYさんに伺うと上流はもっときれいだそう。
行ってみたーい!!

でも、今日は馬越峠を越えて尾鷲へ向かうのが先です。

馬越峠を登る人の多くが立ち寄る道の駅「海山」に行きました。

店内にはいろいろな物産品があります。

私が買ったのはこれ。
馬越峠を歩きながら飲みたいと思います。

そして、この道の駅に語り部の川口さんが来てくださいました。

馬越峠を案内してくださいます。
川口さん、よろしくお願いします!

国道から峠道に入ります。

馬越峠は石畳が美しいことで有名。
この石畳は主に江戸時代に作られたそうです。

馬越峠は2.2km。
今まででいちばん長いです。

でも、石畳があることで自然と歩幅が狭くなり、歩きやすい。
濡れていると滑りやすいと聞いていましたが、この日は乾いていたので滑ることもありません。

しばらく行くとお地蔵さまがいます。
元々は旅人の無事を祈るためのものだったのですが、その後、子どもの夜泣き封じのお地蔵さまとして信仰されたんですって。

お顔が見えないなぁと思ったら、自然石がそのままお地蔵さまとして祀られているんですね。

大きな一枚岩の橋を渡ります。
どうやってここに置いたんだろう…。

クジラみたいな大岩があった!

案内板が立つのは馬越一里塚。
今は石積みの跡が残るだけなんですって。

この先におもしろいものがありましたよ。

この石畳の石、よく見ると文字が書かれているよ、と川口さんが教えてくださいました。

じーっと見ると、確かになにか書いてありますね。
「遠劦深見村しや」と読めるそう。

えー!
遠劦は遠州、私の地元の静岡ではないですか〜。

遠州深見村というのは今の袋井市。
調べたら今も深見という地名が東名袋井インターの北側にありました。

でも、海山郷土史研究会の方が袋井から石工さんが来ていたのかと推測し、袋井市教育委員会に問い合わせたところ、袋井のそのあたりは田園地帯で石畳を作るような石工さんはいないという回答だったそうです。

石工さんでないとすると旅人が記念に彫ったのでしょうか?

ここに刻まれた袋井と馬越峠がどのようなつながりか、今となってはわからないですが思わぬところで地元の地名を見てうれしくなりました。

馬越峠は石畳が多いですが石が敷かれていない場所もたまにあります。

そんな道の途中で川口さんがかわいい花を教えてくれました。

アサマリンドウです。
アサマというのは浅間山ではなく伊勢にある朝熊(あさま)山からの名だそうです。

この時期だけ見られるんですって。

馬越峠の途中には大きなヒノキがそびえる場所があります。
これは、一説によると伊勢神宮の遷宮で、建物を新しくするときのために植えられたのではないかということです。

石畳がある馬越峠は熊野古道のイメージそのままでした。
これだけしっかりした石畳がつくられたのはこの土地は雨が多く、大雨で道が傷むのを防ぐためだそう。

場所によっては何層も石畳が敷かれて崩れるのを防止しているとのこと。
すごい工事ですね。

さらに石畳には「洗い越し」という溝がつくられていて途中で排水され、道の上を水が流れないように工夫されています。

いろいろなことを教えていただきながら峠まで登ってきました。

この馬越峠で感動したのは江戸時代に描かれた「西国三十三所名所図会」と地形がほぼ変わっていなかったこと。

これが西国三十三所名所図会の馬越峠です。

私の写真は道から地蔵堂の方を撮っています。
今は地蔵堂の建物はありませんが石垣と階段の感じがそのままでした。

昔は間越嶺と書いていたんですね。
これから登る天狗倉山が天狗岩かな。

そうそう、峠にはだいたい小さな小屋が設置されていて扉を開くとその中にスタンプが入っています。

それを絵ハガキに押して手紙を出してみようと思いつきました。

前の日に郵便局で買っておいた絵ハガキに馬越峠のスタンプをポン。

なんか、人々の優しさに触れながら旅をしていたら両親にハガキを出してみたくなって…。

普段はそんなことしないんですけどね。
へへへ〜。

このあと、絶景ポイントの天狗倉山に登ります。

伊勢路は馬越峠を越えてそのまま尾鷲へ向かうのですがまたまたここで寄り道。
天狗倉山へ登ります。

天狗倉(てんぐら)山は馬越峠から南へ30分ぐらい行ったところにあります。
展望のよい山として人気。
私も伊勢路に来る前から知っていて、登るのを楽しみにしていたんです。

いいお天気なので、きっと大展望が楽しめます。
でも、馬越峠から天狗倉山へは急登の連続。

樹林の中をグイグイと登っていきます。
語り部の川口さんも付き合ってくださいました。
キツイ登りなのにありがとうございます。

急坂をゆっくり登っていくと巨岩が見えてきます。
すごい迫力!

そして…

ほぼ垂直なハシゴがかかる大きな岩の直下に来ました。
このハシゴはトロッコのレールを利用したものなんですって。
これを登れば天狗倉山山頂。

あー! ここ、ここ。
写真で見たことのある天狗倉山に来た〜!
そして一段下りたところにある眺めのいい岩の上でひと休み。

そこからの展望は…

尾鷲の街や

尾鷲湾がきれいでした。

昨日買った新甘堂さんの和菓子はここで海を見ながら食べたんですよ。

天狗倉山も修験の山だったそうです。
山頂の傍には修験道の祖である役行者が祀られた祠もありました。

山頂でひととき休んだら馬越峠まで帰ります。

本当は天狗倉山先のおちょぼ岩や馬越峠の北側にある便石(びんし)山にも行きたかったんだけど、そうするといつになっても
尾鷲に着かないのでまたの機会にしたいと思います。

峠からの下りは海山側より歩く人が少ないのか石畳が落ち葉に隠れているところもありました。

途中であずまやを見てもうひと下りすると尾鷲側の登り口です。

世界遺産モニュメントの先を左に行くと滝があると川口さんが案内してくださいました。

立派な滝です。
馬越不動滝といって、滝の下には大峰で50回以上も修行を行ったという行者と、役行者、2つの祠が祀られています。

手前には不動明王の祠があるのですがこれは、役行者が開いたという伝説があるそうです。
ここも修験の行場だったのでしょう。

馬越峠を無事に越えました。
前半のハイライトであった馬越峠、とっても楽しかったです。

川口さんとYさんが馬越峠を下りたあと、なんと銚子川の上流へ連れていってくださいました。
尾鷲から車で海山へ戻り、銚子川の上流まで乗せてくださったのです。

銚子川ブルーを再び見ることができた〜!
光線の具合で、写真はうまく撮れなかったのですが下流域よりさらに水が澄んでいたように思います。

伊勢路旅はじめの頃に続いた雨の影響で普段より少し水が多いそう。
いつもはもっと輝いて見えるとのことでした。
夏も来てみたいですね〜。

少し川沿いを歩いていると驚いて、声を上げてしまったものが。

えーっ、秋なのに雪渓⁈

どう見ても夏のアルプスで目にするようなスプーンカットの雪渓なのですが…
これは真っ白な岩なのです。
色といい、削れ具合といい、汚れのつき方といい…
雪渓そっくりだったので近くへ寄って、岩を触ってみたかったのですが、さすがに冷たい川を徒渉(歩いて越えること)するのは無理なので暖かい季節に来たときの宿題にします。

川口さんとはここでお別れ。
楽しい一日をありがとうございました。

馬越峠から下りて来て
北川を渡る手前、右側に尾鷲神社があります。

主祭神は須佐之男命(素盞嗚尊)。

宝永4年(1707)と安政元年(1854)の大津波で神社の記録がすべて流されて古いことはわからないのですが、700年ごろ(大宝年間)には、すでに神社があったそう。

ここには大きな楠の木が2本あります。
それぞれ周囲10m、9mもあり、樹齢は1000年を超えると推定されています。
1000年生きているということはこの地を何度も襲った津波にも負けず尾鷲の歴史をずっと見続けている木なのですね。

寛永12年(1635)、紀州藩が記した山林保護のための文書にはこの木も載っていて、その時すでに周囲6mの大木だったと書いてあるそうです。
木の命の長さってすごいものですね。

尾鷲神社の隣には金剛寺があります。

仁王門が大きかった〜!
大きな神社やお寺があることからも林業の街として栄えた歴史が感じられます。
このあたりは木材を運ぶトロッコ道が通り大きな倉庫があったそうです。

尾鷲観光物産協会に寄ると「おわせ棒」などおもしろい観光情報が得られますよ。

あぁ、おわせ棒。
全部制覇しようと狙っていたのですが、お店が閉まっていたりして一本も食べられず…(T_T)
おわせ棒というのは、尾鷲の名物や自慢の味を食べ歩きしやすいように棒仕立てにしたもののようです。

尾鷲の街の中も古い建物が何軒か残っていました。

念仏寺の斜向かいにはこんな建物が。
病院でしょうか…?

ロゴがおしゃれです。
伊勢路沿いにも気になるお宅があります。

異国のようなヤシの木?とそれ以上に気になる門構え。

長〜い、とっても長〜い壁が続いていて

その端にも大きな門。

地図を見るとこの場所は「土井子供くらし館」となっています。
でもこちらからは入れそうにありません。
この大屋敷が気になって仕方がないので何かお話を聞けないかと建物をぐるっと回ってみました。

すると、お屋敷の入口には門はなく、ちょっとした集落の入口のようになっていました。
入口の倉庫で作業をしているおばあちゃんがいたので、どのような方のお屋敷ですか?と聞いてみると、材木を扱っている土井家のものだと教えてくれました。

子供くらし館は閉まっているけれど、ほかに洋館などがあって建物の外は見られるから、自由に見ていってと親切にも言っていただきました。
おばあちゃんは土井家の方だったようです。

お屋敷の中に入ってみると…

テーマパークにありそうなすばらしい洋館がありました。

個人のお宅ということであまり入っていくのも申し訳ないと思い、奥へは進まなかったのですが、それでも大きな日本家屋がいくつか見えました。

ここは外から見たヤシの木の門ですね。
想像以上にすごいお屋敷でした。

あとから調べたら、尾鷲は古くから山林を経営する企業がいくつもあり、土井家がその頂点だったそうです。
お屋敷のりっぱさも納得。

土井家のお屋敷にある江戸時代から昭和初期までの建物9件が国の登録有形文化財に指定されているようです。
いいものを見せていただきました。

さらに伊勢路を歩き、川を渡った先に袖片橋(そでかたし・そでかたしばし)がありました。

右の大きな石が、かつて伊勢路にかかっていた石橋なのだそうです。
この橋には伝説があります。

それは、尾鷲に人が住み始めたころの話。
水地浦から尾鷲湾を挟んで対岸の向井に煙が昇るのが見えました。

水地の人は向こうにも人が住んでいるに違いないと若者を見に行かせることにしました。
そのころ向井でも同じことを考え若者を出しました。

その二人が出会ったのが袖片橋で、お互い、向こう岸に人が住んでいることに喜び合い出会った証として、それぞれに着ていた袖の片方をちぎり、交換して持ち帰ったのだそうです。
伝説って戦になったとか化け物になったという話が多いですがこれは平和でとってもいい話ですね。

さて、尾鷲は伊勢路スタートから100km地点にあります。
尾鷲まで来たところでひと区切りとし、一度仕事のために私は山梨へ戻りました。

でも、伊勢路旅はまだまだ続く…。