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山岳ライター小林千穂さん 熊野古道伊勢路ブログ

【帰宅日】
熊野本宮大社と紀勢本線の旅

無事に伊勢路170kmの行程を歩き終え、熊野速玉大社と那智大社にお参りしました。

翌日は山梨へ帰る前に熊野三山詣での最後、熊野本宮大社へ。
新宮駅から出るバスに乗ってひとり旅です。
熊野本宮大社へは国道168号を北西へ約35km。
新宮市街を抜けると熊野川沿いの道となります。

三反帆から見た柱状節理の岸壁がバスの車窓からも見えました。

熊野川上流は水が澄んでいてとってもきれい。
青い川の流れにうっとりしていると、あっという間に本宮大社前に着きました。

歩けば1日かかる距離を1時間ほどで来てしまいます。
やっぱりバスは早いですね。

本宮大社は大型バスで来たツアーの方でにぎわっていました。

参道には熊野大権現の幟が並んでいます。

熊野大権現というのは家津実御子(けつみみこ・スサノオ)、速玉神(イザナギ)、牟須美神(むすび・イザナミ)など熊野三山に祭られている神さまのことです。
神さまを権現とよぶのは、本地垂跡(ほんぢすいじゃく・神さまは仏さまの仮の姿という思想)によるもので、仏教の考え方の影響を受けたもの。
つまり、今も残る神仏混淆の世界なのです。

中央の拝殿に祭られているのが本宮大社の主祭神である家津実御子です。
ここでお参りを済ませたとき、私の伊勢路旅も本当に終わりなんだなぁとちょっぴりさみしい気持ちになりました。

その後、本宮大社から歩いて10分ぐらいのところにある大斎原(おおゆのはら)に向かいました。

もともと、本宮大社は熊野川、音無川、岩田川が合流するこの場所にありました。
そのころは今の熊野大社の数倍の規模だったそう。
それが明治22年(1886)8月に起こった大洪水で社殿の多くが流されてしまい、今の地に移ったのです。

長い間、人々が祈りを捧げてきた場所は今、杉木立に囲まれ、中心部は公園のようになっています。

かつて社殿があった場所にはひっそりと小さな石の祠が置かれていました。

水田のなかに大きな鳥居が立つ大斎原、旅の締めくくりとしていい場所でした。

さて、熊野本宮大社をあとにまたバスで新宮駅まで戻り、紀勢本線の特急で名古屋に向かいました。
紀勢本線は伊勢路に沿うようにつくられていて、ブログでも紹介したように歩きながら何度も何度も線路を渡りました。
だから、電車からの景色はどこも見覚えがあって伊勢路旅を遡るようでした。

みかん畑が広がる御浜町。
海沿いの道は日差しが強くて雨傘を日傘がわりにして歩いたっけ。

聖地・花の窟の岩壁。
神話時代から続く信仰の地を巡りました。

新鹿海岸。
二木島峠、逢神坂峠を越えたあと海を見ながらこのきれいな砂浜を歩きました。

火力発電所がある尾鷲の街。
馬越峠、八鬼山越えなど、山道が続いて楽しかったな。

日本有数の清流、銚子川。
朝早く起きて、川沿いを散歩したっけ。

魚まちを案内していただいた紀伊長島。
江ノ浦港の昇降橋が稼動するところを見られてラッキーでした。
かんからこぼし(カッパ)の伝説が興味深かったです。
マンボウもおいしかった。

台風の直後に歩いた大内山川沿いの道。
大内山牛乳のミルクランドではソフトクリームを堪能しました。

大台町のお茶畑。
奥伊勢は宿のご主人も古道沿いに住む方も特に親切でした。

多気町の高校生レストランも印象深かったです。

伊勢平野まで戻ってきました。
写真は多気駅近くですが旅の初日はこんな感じの田んぼが広がる中を歩きました。

12日間でいろいろなところを見てたくさんのことを知り、三重が大好きになりました。
きっと、170kmの道を通して歩いたからこそ感じられたこともあるのだと思います。
伊勢路を歩いたことは、私の大きな財産になっています。

貴重な機会を与えてくださった三重県と旅をサポートしてくれた担当者、スタッフのみなさんに心から感謝しています。
また、伊勢路踏破中応援してくださったみなさま、本当にありがとうございました。

伊勢路で体験したことをもらさずにお伝えしようとブログにまとめてきたのですが長く時間がかかってしまい申し訳ありませんでした。
でも、ブログに書いたことで取材時のメモや写真を見返したり、改めて由来や歴史を調べたりしてさらに伊勢路を深く知ることになりました。
これからも機会を作って三重へ遊びに行きたいと思います。
できれば伊勢路をもう一度歩きたい。

また、いろいろなところでこのような歩き旅を楽しみたいとも思っています。

最後に…

熊野へ参るには
紀路と伊勢路とどれ近し どれ遠し
広大慈悲の道なれば
紀路も伊勢路も遠からず
          〜梁塵秘抄〜

ありがとうございました。